土を守る

ささき農園の自然薯畑は自然薯が自生していた山を切り開き植え付けております。
この山の豊かな自然を壊さないように山の落葉や刈り草などから作った自家製堆肥のみを使用しております。

水を守る

ささき農園の自然薯畑には農薬を使用しません。それは畑の土が雨をろ過し、地元に愛されている野田温泉の水として湧き出てくるからです。美しい水を未来の子どもたちに残すためにも農薬は使えません。

安心、安全を守る

野菜作りを通して自然環境を守り、子供たちが安心してたべられる野菜を育てつづけます。
ささき農園の自然薯を食べていただいた皆様の健康維持のお手伝いができることを心から嬉しく思います。

畑作りは、土作りから始まります!
山の落葉と川の刈り草を集め、堆肥にしています。そこに納豆やヨーグルト、米ぬかなど、人が食べても大丈夫なものを混ぜ込み、発酵を促進します。

仕込み始めて、約一年後。発酵が進み、生きた微生物が豊富良い堆肥ができました。生きた堆肥は、生きた土を作ります。

山芋が育つ容器は、毎年洗浄しています。冬の一番寒い時期ですが、自然薯が病気にならないように、きれいに洗浄します。

容器の設置風景。一日に、80枚を設置するのが限界です。骨が折れる仕事で大変ですが、自然薯が一年育つ容器なので、丁寧に設置していきます。自然薯にふかふかのベットを用意している感覚です。

化学農薬を使わず育てた種イモから、元気な芽が出てきました。芽だしして三週間。かわいいです!!

いよいよ種イモの植え付けです。傷付けないように丁寧に丁寧に。

一年かけて作った堆肥を撒きます。
化学肥料をまくと手のひら一杯で済みますが、ささき農園で自作している肥料だと一輪車一台分に相当します。
安心安全のために、欠かせない作業です。

いよいよ、畝上げです。その年の天候を読み、深さを調整します。雨が多い年は深く、乾燥気味の年は浅くするのがコツです。

植え付けから約二か月。元気なツルが出てきました。ここまでくると一安心です。

真夏の自然薯畑です。太陽の光を浴びて、まさに大地の力を蓄えているところです。大きくなーれ!!

ムカゴの収穫。竹の笹で叩いて落とします。その年の天候によって、収穫量が変わります。

収穫間際。大きい自然薯に育つと、地割れが大きくなります。今年は大きな自然薯が入っていそうです!

待ちに待った、自然薯の収穫。今年も美味しい自然薯が育ちました。

■動機

やりたいことが見つからず過ごしていた20代のことです。私は、2001年に交通事故にあい1年間寝たきりになりました。1年のリハビリ生活を脱した時に職を失い、自分の人生において目標を失っておりましたので「自分には何ができるか」を探しに趣味であるサーフィンをしながら1人で世界を旅することにしました。
その旅の途中で衝撃を受けたのがインドネシアでした。そこには日本とはまるで違う景色が広がっていました。大量に廃棄されたごみの山の中でたくさんの幼い子供がペットボトルなどを拾っていたのです。私も日本ではお世辞にも裕福と言える生活をしているわけではありませんでしたが、1年も働けば格安で海外に行けるだけの貯金が作れる環境でした。ここの子供たちは生計を立てるためごみの山で1年中休み無く働いても、私の月給にも満たないのだと知りました。私は胸を締め付けられる思いでした。  
また、私が毎年のように訪れていたインドネシアにコモドドラゴンが住む美しい島があります。そこには美しい砂浜と、島の人に憩いの場所として愛されていた大木がありました。リハビリ生活後にその島を訪れた時、島の風景はこれまでとまるで別のものでした。美しいビーチや皆に愛された大きな木は無く、ホテルの階段や塀が剥き出しになっていたのです。現地の人によると地球温暖化で年々ビーチの幅が狭くなっており、先の高潮でみんな流されたのだそうです。地球温暖化はこの美しい島の人々のせいではありません。日本など大量に温暖化ガスを排出する先進国が生んだ負の産物です。みんなが楽しく集まっていた浜辺の大きな木が、地球温暖化の影響でなくなっていたのを目の当たりにし、私の中で自然環境を守りたいという気持ちが生まれました。
まずは一人一人が地球を守ることを始めるのが大切と思い、実家の畑や田んぼで環境に優しい農業をする決心をして帰ってきました。

■有機農業への取組経過

まずは農業のノウハウを勉強するために86歳の祖父に弟子入りし、自然薯、里芋、さつまいも、ごぼう、すいか、とうもろこし、なす、きゅうりなど基本的な野菜の栽培技術を学びました。その中で農薬や化学肥料とアレルギーやうつ病といった現代病などの関係を学習し、無農薬、無化学肥料への挑戦を始めました。
平成18年に農薬2割減のエコファーマーを取得し、それまで使用していた化学肥料を止め、有機主体の肥料に変更し農薬使用回数も規定の1/3以上を削減しました。農薬を削減したり肥料を有機に変えても美味しい野菜が収穫できたことが、自信に繋がりました。
翌19年には農薬5割減の佐賀県特別栽培農産物の認証を取得し、3年後の有機JAS取得に向けて堆肥も自家製の草木堆肥や発酵鶏糞ぼかし肥料に変え、農薬もJAS認定の自然に優しい農薬に変更しました。また畑も数十年放置されていた耕作放棄地を借り入れ、森のような土地を開墾し畑づくりから始め、化学農薬をかけるのを止めました。するとすぐに野菜に病気や虫が付き始めました。
アブラムシには牛乳をかけると良いと聞き、早速試してみましたが、かけた日の天候が悪く牛乳にカビが生えアブラムシを抑えるどころか悪化させたり、虫に食べられるからと唐辛子を煮立たせ唐辛子エキスを作り、野菜にかけた時は涙と鼻水、咳が止まらず大変な思いをしたりと、これまで当たり前にかけてきた化学農薬や化学肥料を使わず野菜を育てるということは簡単なことではありませんでした。
試行錯誤を繰り返す日々でしたが、堆肥の量を調節したり、自然農薬、緑肥作物などの利用など農薬に変わるものを模索するなかで、病気や虫は結果であり、原因は見えない土の中にある事に気付きました。植えつける前の土壌のバランスをそれぞれの野菜に合わせ整えれば病気や虫はこなくなり化学農薬を使わなくとも病気や虫を抑える事ができると解ってきました。
新たな技術としまして緑肥作物(辛子菜)を導入しました。作物の前作に辛子菜を栽培し、販売することなく全量を土壌に鋤き込みます。土壌の炭素率を上げ微生物の活動を促すと共に、辛子菜が持つ辛味成分の殺菌作用を利用し土壌病害や線虫を抑制し作物の増収につなげるとともに、土壌消毒薬のような劇薬を使用せず野菜を育てることが可能となりました。
平成22年には1haの畑で有機JAS認定を取得し無農薬、無化学肥料で、ゴーヤ、玉ねぎ、ごぼう、にんにく、里芋、さつまいも等、安心、安全で美味しい野菜を育てられるようになりました。
平成24年には、10年前から主力商品にしたいと考えていた自然薯についても、保存中や定植後の腐敗を克服できたことから、全量完全無農薬、無化学肥料栽培での出荷率90%以上、1t/10aの収量をあげることに成功し、全国に販路が広がりつつあります。

■伝統野菜としてのこだわり

なぜ自然薯栽培にこんなに力を入れているのかと申しますと、唐津自然薯の歴史は古く江戸時代(1600年頃)の文献「唐津拾風土記」に唐津領名物として唐津城藩主へ献上品として納められていたことが明記されております。
また、明治時代になりますと夏目漱石の「我輩は猫である」にも唐津の自然薯が登場し、その時代唐津自然薯が東京では大変美味で高級品として食されていたことが窺えます。
全国に自然薯の産地は数多くありますが、唐津にこれだけの自然薯の歴史があるのか不思議に思い調べたところ唐津の土質に関係がありました。唐津の中でも文献に記載されていた土地周辺の土質は、自然薯栽培に最も適している不純物の少ない真砂土の赤土でした。この土に育つ自然薯は、色白で粘りが強いことが特徴です。
適地適菜といいますが、これほど唐津に根付いた伝統野菜はそう多くありません。しかし、この事実を知る人は唐津の中でもごくわずかです。
私はこの唐津藩主や夏目漱石が食べたであろう唐津自然薯をもう一度全国の方に食べていただきたく唐津旅館組合、飲食店、唐津商工ブランド課のご協力のもと日々自然薯の普及に励んでおり、地元高級旅館のホームページの中でも紹介頂いております(http://www.yoyokaku.com/sub7-143.htm)。

■地域循環型農業への取組

身土不二の考えに、「三里四方の食を取れ」とあります。このことから私は人の体と野菜が育つ環境は同じだと思いました。三里四方のものを食すということはその土地の自然環境を体に取り入れることに繋がります。私の野菜作りもその理論に基づき地域から出る刈り草や鶏糞、籾殻牡蠣殻、山の土着菌などを利用して野菜を育てています。
草木堆肥は、季節ごとに地域行政で行われている焼却廃棄予定の河川の刈草5河川分(4tトラック60台分)を貰い受け、山道に溜まる落ち葉(2tトラック10台分)などを合わせ、ぼかし肥料(山の土着菌や米ぬか、ヨーグルト、納豆など人間が口にできる物で作成)と混ぜ合わせて作成します。草木堆肥は有用な土壌微生物が多いので、病気になりにくく虫にも食われにくい野菜が育ちます。
また化学肥料を使用せず地力を高めるため養鶏場から出る廃棄鶏糞を貰い受け、ぼかし肥料や籾殻と混ぜ合わせ 発酵鶏糞ぼかし肥料を作成し、元肥と追肥で使用しています。
微量要素の補充としては、地元の牡蠣小屋から出る牡蠣殻を粉砕して作られた牡蠣殻石灰を使用しています。

■耕作放棄地の再生・利用、地域雇用

現在自然薯を栽培している畑は以前耕作放棄地だった土地を利用しております。
放棄地を耕作できる畑へ変換するまでには年単位での時間と並ならぬ労力を要しますので1年に10a程度ずつしか増やすことはできません。しかし、人の手が加えられていない自然のままの肥沃な土地は良質な野菜を育てることにも最適です。面積としては現在5区画の畑で1haほどになりました。
耕作放棄地の再生・利用は、その要綱にも「耕作放棄地が存在することへの地域における悪影響の解消はもとより、食料自給率の強化や多面的機能の発揮を通じ、農業者、地域住民および国民全体の利益に繋がる取組」とあり、今後も荒地の再生利用に努めてまいりたいと思います。
現在、シルバー人材の雇用により年間160日の地域雇用も生み出しており、今後栽培面積の拡大と共に地域雇用も増やしていこうと思っています。
また、農薬を使わず畑を守ることは、安全な水を守ることにも繋がります。耕作放棄地を地域循環農法の畑に転換した後は農薬や化学肥料汚染を防ぎ、地域にある温泉の温泉水の保全にも寄与しております。ささき農園の圃場は、温泉が湧く山に点在しております。畑には空から雨が降り何年もかかり温泉水として湧き出てきます。そのため美味しく安全な温泉水を守るためにもささき農園は化学合成農薬や化学肥料を使用しません。

■有機農業者との活動

私は、有機栽培の先人たち(イタリアスローフード受賞者、農林水産大臣賞受賞者、日本初EU残留農薬検査合格者など)が設立された九州有機農業塾の佐賀県唐津支部長として活動しております。
塾の活動に参加していく中で徐々にではありますが、有機農業に興味を持った周囲の同年代農家10数人が参加するようになり、その内半数以上が減農薬栽培に移行しております。
新規参入農家の若者からは農業技術の相談を受け、畑にて指導をおこない、さらに地元スーパーや直売所、飲食店などへの販路斡旋も行っております。
他にも、唐津の美味しい食材と料理人、唐津焼の陶芸家を結びつけて唐津の魅力を他県へ伝える「食と器の会」の実行委員での活動もしており、「食と器の会」のイベントにより、生産農家と飲食店の結びつきも強くなり、回を増すごとに取引も増えております。
一例を挙げますと、中華のアイアンシェフ脇屋シェフのイベントでは唐津の魅力ある食材を提案した「第13回食材研究会」の開催にも携わり、多くの方に唐津の食材をを楽しんでいただきました。イベントの中では生産農家代表としてスピーチもさせていただき唐津自然薯のPRも然る事ながら食の安心、安全を伝えることができました。
また、ささき農園では農業体験も開催しており、食への関心が高いご家族に「子供たちが収穫した野菜が美味しく、野菜嫌いな子供がいっぱい食べました」と毎回嬉しいお声をいただいております。 
昨年からは、農の雇用事業を利用し若者の研修先として人材育成中です。来年にはもう一人研修生を受け入れる予定です、徐々にではありますが受け入れ人数も増やしていきたいと考えております。

ページの先頭へ